己紹介

更新日:99/07/20
作成者:阿部 賢一

昭和52年12月千葉に生まれる。
生まれたときから、家に猫がいた。そのため、現在まで猫好きです。 小さいときの記憶はあんまりないので飛ばします。機会があったら書きたいと思います。
小学校一年生の時、担任のS先生が恐かったのを覚えている。
小学校二年生の時、家の近くで交通事故にあいました。友達と塾に行った帰りで、道路をわたって家に帰ろうとした時に、 ワゴン車とぶつかり、しかも、轢かれました。鮮明っていうほどでもないけど、その時のことは覚えています。 救急車に乗せられて病院に運ばれ、何週間か入院しました。クラスのみんなが、励ましてくれたことがすごくうれしかった。 残念だったのが、その時に社会科見学でパン工場に行けなかったことです。
小学校三年、四年の時は、クラスに恵まれ、とても楽しい毎日を送っていたと思います。
小学校六年の時、担任のS先生に「マラソン計算」というのを教わり、それを毎日やっていたおかげで、 勉強をする習慣ができました。また、六年生の時は自分が、自覚を持って行動することが大事だということに気付き、よく「自覚」ということをしました。
中学生になって、制服を着るのがなにかかっこよく感じていました。
中学一年生の時は一応、卓球部に所属していました。でも、夏休み前は結構部活にでていたんですが、 2学期からはあまりでなくなり、2年生になる前に辞めてしまいました。
中学2年生から受験のために、塾に通うようになりました。 友達と一緒にバスに乗り、駅の近くの塾に通っていました。その時は、まだ、受験ということをあまり意識していませんでしたが、 さすがに3年生になると少しずつですが意識し始めた記憶があります。 ただ、志望校は2年生の終わりあたりですでに決まっていました。 滑り止めの高校はぎりぎりまで悩んだ記憶があります。 結局、公立校を第二志望にして、後二つの滑り止め、そして本命を受けることにしました。
3年生の時、「自分は、絶対に合格するぞ!」「合格できるんだ。」との思いを強く持っていました。 また、周りにもそういう風に言っていました。 偏差値から見ると、それほど余裕があるわけではないのに、どうしてその様に思うのか周りが不思議に思うほどに、その時は自信を持っていました。 この思いのため、受験でも焦らず自分のペースを守り、心にゆとりができていたと思います。
確か1月の下旬ぐらいだったと思いますが、滑り止めの2校を受験し、合格しました。 勢いにのって、2月の中旬に本命校を受験しました。今思うと、あまり緊張せずに受けられたので、落ち着いていました。 まぁ、面接はそれなりに緊張しましたが。 合格発表には、行かずに家で電報を待つつもりでしたが当日、父に起こされ合格発表に行きました。 自分の受験番号を見つけたときは、本当にうれしかった。 上に書いたように、心にゆとりがあったけれど、全く不安がなかったというわけではありませんでした。
そして、めでたく創価高校に入学しました。(つづく)
何と驚いたことに、僕の出身校のホームページがありました。
    千葉市立幸町第三小学校のホームページへ
実家のベランダから撮った、回りの風景の写真(2枚で45.9KB)
この前実家に戻ったときに小さい頃の写真を見つけました。かなり恥ずかしいですね。
赤ちゃんの頃、小学生低学年、バイオリンの発表会、ハード組
僕のアルバム

ここでは、詳しい自己紹介をしていきたいと思います。
少しずつ増やしていきたいと思ってます。
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